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樋口一紀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
樋口 一紀
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 福岡県久留米市
生年月日 (1967-09-09) 1967年9月9日(57歳)
身長
体重
167 cm
67 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 二塁手遊撃手
プロ入り 1991年 ドラフト5位
初出場 1993年8月7日
最終出場 1998年5月10日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

樋口 一紀(ひぐち かずとし、1967年9月9日 - )は、福岡県久留米市出身の元プロ野球選手内野手)。大阪府生まれ。

来歴・人物

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PL学園中に在学するも小柄な体格のため、そのまま高校は進めず[1]柳川高から、社会人野球住友金属に入団。1989年都市対抗野球新日本製鐵堺の補強選手として出場し、エースの野茂英雄を擁しベスト4に進出。1990年都市対抗野球では日本生命の補強選手として出場。1991年は自チームで出場しベスト8に進出した[2]日本選手権の優勝も経験している[3]

1991年度プロ野球ドラフト会議にて千葉ロッテマリーンズから5位指名を受け、入団。1993年シーズンにはイースタン・リーグ盗塁王を獲得し、一軍デビューも果たした。

1995年シーズンオフに仁村徹酒井忠晴山本保司との3対3の交換トレードで前田幸長平沼定晴とともに中日ドラゴンズへ移籍[4]

1997年シーズンオフに岸川登俊との1対2トレードで小島弘務(社会人からの同僚で同学年)とともに古巣・ロッテに移籍。3年ぶりの古巣復帰となった。2度のトレードによって古巣復帰を果たした珍しい例である。しかし、1年で戦力外通告を受け、阪神タイガースの入団テストに合格したが1999年シーズンは一軍出場がないまま1年で2度目の戦力外通告を受け、オリックス・ブルーウェーブの入団テストを受けるも不合格となり、現役を引退。

脚力があり、二塁遊撃を守れるなど使い勝手のよい選手だったが打力は低かった。

現在は、中学時代を過ごした大阪府富田林市で硬式野球チーム「全富田林ヤング」を立ち上げ少年野球の指導を行っている。

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1993 ロッテ 4 8 8 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 .125 .125 .125 .250
1994 37 81 67 7 23 2 1 0 27 6 2 2 6 0 8 0 0 11 1 .343 .413 .403 .816
1995 62 134 114 8 23 1 0 0 24 2 3 8 8 0 11 0 1 21 0 .202 .278 .211 .489
1996 中日 35 35 29 9 5 1 0 0 6 1 1 3 0 0 6 0 0 4 1 .172 .314 .207 .521
1997 55 126 101 14 23 4 2 0 31 5 3 3 7 0 18 0 0 17 5 .228 .345 .307 .651
1998 ロッテ 11 8 6 1 1 0 0 0 1 0 0 0 1 0 1 0 0 2 0 .167 .286 .167 .452
通算:6年 204 392 325 39 76 8 3 0 90 14 9 16 22 0 44 0 1 57 7 .234 .327 .277 .604

記録

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背番号

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  • 32 (1992年 - 1995年)
  • 49 (1996年 - 1998年)
  • 38 (1999年)

脚注

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  1. ^ 週刊ベースボール1992年2月24日号 92プロ野球全選手写真名鑑 ベースボールマガジン社
  2. ^ - 都市対抗野球大会80年史
  3. ^ - 社会人野球日本選手権大会20年史
  4. ^ 「仁村ロッテへ 3対3トレード」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1995年(平成7年)10月31日付朝刊、21面(スポーツ面)。

関連項目

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外部リンク

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