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ベアキャット・ライト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ベアキャット・ライト
ベアキャット・ライトの画像
1972年
プロフィール
リングネーム ベアキャット・ライト
本名 エドワード・ライト
ニックネーム 黒い山猫
身長 198cm
体重 125kg(全盛時)
誕生日 1932年1月13日
死亡日 (1982-08-28) 1982年8月28日(50歳没)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ネブラスカ州の旗 ネブラスカ州
ダグラス郡オマハ[1]
スポーツ歴 ボクシング
トレーナー トニー・ステッカー
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エドワード "ベアキャット" ライトEdward "Bearcat" Wright1932年1月13日 - 1982年8月28日)は、アメリカ合衆国のプロレスラー。ネブラスカ州オマハ出身[1]アフリカ系アメリカ人

ロサンゼルス版の第7代WWA世界ヘビー級王者であり、プロレス界における初の黒人世界チャンピオンとして知られる[1][2]

来歴

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父親は1920年代に活躍したプロボクサーのエド "ベアキャット" ライト[3]。彼自身もベアキャット・ライト・ジュニアのリングネーム1950年代初頭にプロボクサーとして活動していた。

1954年、父親と同じリングネームでプロレスラーに転向し、ベビーフェイスのポジションでニューヨーク地区を主戦場に活動[4]1960年代初頭には、オハイオ地区にてボボ・ブラジル黒人タッグチームを組み、クリス&ジョン・トロスのトロス・ブラザーズと抗争を展開した[5]

その後、ロサンゼルスWWAに参戦し、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアワシントン大行進にて "I Have a Dream" と演説を行う5日前の1963年8月23日、フレッド・ブラッシーを破ってWWA世界ヘビー級王座を獲得[6]。プロレス界において、黒人初の世界王者となった[1][2]

しかし、黒人チャンピオンに対する当時の風当たりは強く、差別団体からの脅迫を受け、同年12月16日に行われるはずだったエドワード・カーペンティアとの防衛戦を放棄して失踪[2]。WWAはライトからタイトルを剥奪し、カーペンティアを新王者に認定した[6]。この剥奪騒動には諸説あり、ライトから世界王座を移動させようとしたWWAのシナリオに反発し、白人に負けるブックを拒否したことが原因ともされている[7]

以降は一時アメリカ合衆国本土を離れ、カナダバンクーバー地区やハワイなどで活動。バンクーバーでは1964年4月13日、エンリケ・トーレスをパートナーにドン・レオ・ジョナサン&キンジ渋谷からNWAカナディアン・タッグ王座を奪取した[8]

その後はパシフィック・ノースウエスト地区を経て、ジム・バーネットが主宰していたオーストラリアのワールド・チャンピオンシップ・レスリングに進出。同地におけるベビーフェイスのスターだったマーク・ルーインと組み、1966年7月29日にスカル・マーフィー&ブルート・バーナードを破ってIWA世界タッグ王座を獲得した[9]。8月19日にはマーフィーからIWA世界ヘビー級王座を奪取、翌1967年もマーフィーやキラー・コワルスキーを相手に同王座を争った[10]

1967年の末よりアメリカ本土に本格的に復帰し、サンフランシスコ地区では同年12月2日にレイ・スティーブンスを破りUSヘビー級王座を獲得[11]。翌1968年2月17日にキンジ渋谷にタイトルを奪われるも2カ月後の4月13日に奪還、7月4日にキング・イヤウケアに敗れるまで、サンフランシスコ地区のフラッグシップ・タイトルであるUS王座を保持した[11]

1970年代も各地を転戦し、南部フロリダ地区では1972年3月28日にボリス・マレンコからブラスナックル王座を奪取[12]、これが最後のタイトル戴冠となった。1973年にはザ・シークの牛耳るデトロイト地区に参戦して、ソニー・キングをパートナーにジート&ベポザ・モンゴルズなどと対戦。1974年ジム・クロケット・ジュニアが運営するミッドアトランティック地区にてジョニー・バレンタインと抗争した[13]

キャリア晩年の1975年10月、新日本プロレスに初来日[14]。同年はフロリダでヒールに転向しており、アントニオ猪木とのシングルマッチでもラフファイトを仕掛け、4戦して2敗2無効試合という戦績を残した[1]。現役引退後の1976年には、テネシー州メンフィスのNWAミッドアメリカ地区(後のCWA)にてモンゴリアン・ストンパーマネージャーを務めた[15]

1982年8月28日、黒人に多い遺伝的疾患である鎌状赤血球貧血症にて死去[4]。50歳没。2017年3月31日、プロレス界での功績を称え、WWE殿堂のレガシー部門に迎えられた[16]

得意技

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獲得タイトル

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ワールドワイド・レスリング・アソシエーツ
NWAオールスター・レスリング
パシフィック・ノースウエスト・レスリング
ミッドパシフィック・プロモーションズ
NWAサンフランシスコ
チャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ
ワールド・チャンピオンシップ・レスリング(オーストラリア)
アトランティック・アスレティック・コミッション
  • AAC世界ヘビー級王座:1回[22]
WWE
その他
  • オハイオ・ヘビー級王座:1回
  • アリゾナ・ヘビー級王座:1回

参考文献

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  • 『月刊プロレス』1975年12月号P120-123「秘話再発見シリーズ ベアキャット・ライト / 人種差別の被害モロに受けた"黒い英雄"」(1975年、ベースボール・マガジン社

脚注

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  1. ^ a b c d e 『新日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P36(2002年、日本スポーツ出版社
  2. ^ a b c 『THE WRESTLER BEST 1000』P173(1996年、日本スポーツ出版社)
  3. ^ Edward "Bearcat" Wright”. Cyber Boxing Zone. 2011年7月28日閲覧。
  4. ^ a b Bearcat Wright”. Online World of Wrestling. 2011年7月28日閲覧。
  5. ^ Akron Wrestling Results - 1961”. Legacy of Wrestling. 2011年7月28日閲覧。
  6. ^ a b c WWA World Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2011年7月28日閲覧。
  7. ^ 『フレッド・ブラッシー自伝』P174-178(2003年、エンターブレインISBN 4-7577-1692-3
  8. ^ a b NWA Canadian Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2011年7月28日閲覧。
  9. ^ a b IWA World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2011年7月28日閲覧。
  10. ^ a b IWA World Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2011年7月28日閲覧。
  11. ^ a b c NWA United States Heavyweight Title: San Francisco version”. Wrestling-Titles.com. 2011年7月28日閲覧。
  12. ^ a b NWA Florida Brass Knuckles Title”. Wrestling-Titles.com. 2011年7月28日閲覧。
  13. ^ Matches von Bearcat Wright”. Cagematch. 2014年9月11日閲覧。
  14. ^ NJPW 1975 Toukon Series II”. Puroresu.com. 2019年3月20日閲覧。
  15. ^ Memphis/CWA #37 Page #2”. Kayfabe Memories. 2011年8月25日閲覧。
  16. ^ a b Congratulations to the 2017 WWE Hall of Fame Legacy inductees”. WWE.com. 2017年4月1日閲覧。
  17. ^ WWA United States Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2018年10月17日閲覧。
  18. ^ NWA Pacific Coast Tag Team Title [British Columbia]”. Wrestling-Titles.com. 2015年8月11日閲覧。
  19. ^ NWA Pacific Northwest Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年8月11日閲覧。
  20. ^ NWA Hawaii Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年8月11日閲覧。
  21. ^ NWA Florida Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2011年7月28日閲覧。
  22. ^ AAC/BTW World Heavyweight Title [Massachusetts]”. Wrestling-Titles.com. 2015年8月11日閲覧。

外部リンク

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