コンテンツにスキップ

カルチョ・フォッジャ1920

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
カルチョ・フォッジャ1920
原語表記 Calcio Foggia 1920 S.r.l.
愛称 Satanelli
クラブカラー 赤と黒
創設年 1920年
所属リーグ セリエC
所属ディビジョン 3部
ホームタウン フォッジャ
ホームスタジアム スタディオ・ピーノ・ザッケリア
収容人数 25,085
代表者 イタリアの旗 ニコラ・カノニコ
監督 イタリアの旗 ズデネク・ゼーマン
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

カルチョ・フォッジャ1920Calcio Foggia 1920)は、イタリアプッリャ州フォッジャに本拠地を置くサッカークラブチーム。2021-22シーズンはセリエCに所属。

歴史

[編集]

Sportiva Club Foggiaとして1920年5月に設立[1]。そのすぐ後にUSアトレタとマチステとUSプロ・フォッジャ、そしてスポルティング・クラブ・フォッジャの4クラブが統合してリーグに参加し、1957-58シーズンにはSCフォッジャとフォッジャ・インセディトが統合し新たにSCフォッジャ&インセディト(US Foggia & Incedit)とする。

1961-62シーズンにはドメニコ・ローサ・ローサが新会長として就任しオロンツォ・プリェーゼが監督としてセリエBに昇格する。ローサ・ローサ&プリェーゼの快進撃は止まらず1963-64シーズンにはセリエAへ昇格して3年連続で残留。1965年1月31日にはエレニオ・エッレーラでインテルを3-2と下した。

1966-67シーズンから3シーズン指揮をとったトンマーゾ・マエストレッリは、1973-74シーズンにSSラツィオの監督に就任すると采配が的中しラツィオに史上初のスクデットをもたらしている。

1972-73シーズンでは監督にラウロ・トネアットを招き入れて戦ったが、スポーツ裁判で-6のペナルティを受けてしまった過去もある。70年代でセリエAの舞台に上がれたのは1976-77シーズンと1977-78シーズンの2度。この時の会長はアントニオ・フェシェでエットーレ・プリチェッティが監督を務めていた。

1984年4月24日にはアントニオ・リオーチェ、フラテッリ・パスクアーレ、アニエッロ・カシッロを中心としたフォッジャ人によるロッソネーリ(フォッジャのサポーターグループ)が結成され、USフォッジャの新しい歴史が始まる。1988-1989シーズンはセリエCのジローネBでパレルモと最後まで争いセリエB昇格を決めた。

1989年にズデネク・ゼーマンが監督となったフォッジャは急激に強さを増していく。ランヴァウディバイアーノジュゼッペ・シニョーリを擁して4-3-3でゾーンのプッレシングがプレーヤーにムーブメントを起こし、セリエAへ返り咲くと、1991-92シーズンにはスペクタクルなサッカーがセリエAで旋風を巻き起こす。後にこの快進撃はゼーマンランディア(ゼーマンの楽園)と呼ばれることとなる。しかし、1992-93シーズン開幕前にシニョーリ、バイアーノ、ランヴァウディが移籍。1993-94シーズン、ストロッパロイやらの活躍もあって依然として好成績を残した[2]、しかし1994-95シーズン開幕前に、ズデネク・ゼーマン監督が引き抜かれると、そのシーズンセリエBに降格、暗黒期に入ることとなった。

パスクアーレ・カシッロが会長職に就きスポーツ・ディレクターにジュゼッペ・パヴォーネを就任させるも主力が抜けたUSフォッジャは1998年にはセリエC1に降格し、1999年にはセリエC2に転落していった。

プロフェッショニスティが運営するセリエCが主戦となっていた2002-03シーズンにミスター・フォッジャと言うべきパスクアーレ・マリーノを招き入れる。マリーノの手腕でロベルト・デ・ゼルビミケーレ・パツィエンツァの才能を開花させ4年ぶりにセリエC1へ昇格させた。そして、2007年にはコッパ・イタリア・セリエCで決勝まで勝ち進み、ファイナルでも勢いのままクネオを3-1と下して優勝し初タイトルを手にする。

2009-10シーズンは、レガ・プロ・プリマ・ディヴィジオーネのジローネBで降格争いに巻き込まれてしまいプレイアウトに回ったがトータルスコアで勝ち越し残留。再建を担うべく2010年7月14日に会長がパスクアーレ・カシッロからマッテオ・ビアンコフィオーレに変わり、三度目の監督業となるズデネク・ゼーマンを就任させセリエAを狙うが、ゼーマンがわずか1年で退任すると、2010-11シーズン終了後には財政問題によりレガ・プロから翌シーズンの参戦を認められず、新チームACDフォッジャ・カルチョ(Associazione Calcistica Dilettantistica Foggia Calcio)として、セリエDから再スタートを切った。2012-13シーズンを終えレガ・プロ・セコンダ・ディヴィジオーネに昇格した。

2021年6月19日、ズデネク・ゼーマンの監督就任が発表された。過去3度フォッジャの監督を務めており、2011年以来の10年ぶり4度目の監督就任となった[3]

タイトル

[編集]

国内タイトル

[編集]

記録

[編集]
  • ホーム初勝利 : SCフォッジャ1-0ガリバルディーノ・ターラント
    • 1923.9.9
  • アウェイ初勝利 : ガリバルディーノ・ターラント0-1SCフォッジャ
    • 1923.9.30
  • 初得点試合 : SCフォッジャ1-0ガリバルディーノ・ターラント
    • 1923.9.9 前半40分 カサレ
  • 最多ホーム得点試合 : フォッジャ8-0グラディアトール, フォッジャ8-0アレッツォ
    • 1932-33
  • 最多アウェイ得点試合 : オルビア0-10フォッジャ
    • 1932-33
  • 最多ホーム失点試合 : フォッジャ2-8ACミラン
    • 1992-93
  • 最多アウェイ失点試合 : レッチェ8-0フォッジャ
    • 1950-51

過去の成績

[編集]
シーズン ディビジョン コッパ・イタリア
リーグ 順位
2016-17 レガ・プロ・ジローナC 38 25 10 3 70 29 85 1位 2回戦敗退
2017-18 セリエB 42 16 10 16 66 68 58 9位[4] 3回戦敗退
2018-19 セリエB 36 10 13 13 44 49 43→37 17位 2回戦敗退
2019-20 セリエD・ジローネH 26[5] 16 6 4 33 16 54 1位
2020-21 セリエC・ジローナC 36 14 9 13 36 39 51 9位
2021-22 セリエC・ジローナC 36 13 15 8 62 51 54 7位
2022-23 セリエC・ジローナC

歴代監督

[編集]

歴代所属選手

[編集]

GK

DF

MF

FW

脚注

[編集]
  1. ^ CENT’ANNI DI STORIA E GLORIA ROSSONERA”. 2021年12月4日閲覧。
  2. ^ Bryan Roy al Foggia: il primo grande colpo messo a segno da Raiola”. GOAL (2022年2月17日). 2024年9月10日閲覧。
  3. ^ 鬼才ゼーマンがセリエCクラブの指揮官に就任”. 超WORLDサッカー! (2021年6月20日). 2021年12月4日閲覧。
  4. ^ 破産により4部へ降格
  5. ^ 新型コロナによりリーグ戦が途中で中止された

外部リンク

[編集]