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紀年法において紀元よりも前の年を表現する方法 ウィキペディアから
紀元前 (きげんぜん) は、紀年法において紀元(元年、すなわち1年)よりも前の年々を表現する方法である。紀元1年の前年が紀元前1年であり、過去に遡る度に紀元前2年、紀元前3年…と、数値の絶対値が増加する。
現在の日本で単に「紀元前」と言った場合、通常は西暦(キリスト紀元)の紀元前を指す。この紀年法は、天文学的紀年法による西暦とは1年のずれがあることに注意しなければならない。
西暦の紀元前であることを明示したいときは、西暦前、西暦紀元前、キリスト紀元前などと言う。英語では「~(年) BC」(BC:Before Christの略)といった形で使われるが、非キリスト教との関係から「BC」から 「BCE」(Before Common Eraの略) への切り替えが広がっており、AD (Anno Dominiの略、「主(イエス・キリスト)の年に」の意)もCE( Common Era の略、「共通紀元」の意)に切り替わっていっている)。
天文学などでは、紀元前を用いず、ゼロおよび負数を用いた西暦年数(西暦0年、西暦 -1年、西暦 -2年など)が用いられる。この場合はその年数が紀元前の年数とは1年だけずれることに特に注意が必要である。
例えば、ユリウス通日の起点は紀元前4713年1月1日正午(世界時)であるが、これは西暦 -4712年1月1日正午(世界時)のことである。
紀元1年から1年ずつさかのぼり、紀元前1年、紀元前2年、紀元前3年…と年数を逆行させて呼称する、この紀年法は17世紀のフランスイエズス会の神学者ディオニシウス・ペタヴィウス Dionysius Petavius(1583-1652)、別名ドニ・プト(en:Denis Pétau)[1]の発案によるものであり、18世紀に一般に広まった[2]。
西暦紀元前は、本来は「イエス・キリスト生年前」として定義された。ただし、現在では、イエス・キリストの生年が西暦1年だったとは考えられていない。様々な説があるが、紀元前7年〜紀元前4年頃というのが定説である。
ペタヴィウス以前にもベーダやスレイダヌスなどが個別の年号について使用した例、1474年にケルンの一修道士が使用していた実例が知られているが、いずれも部分的か孤立した例に過ぎなかった[3]。これに対してペタヴィウスは体系的に使用しており、しかも彼は全ヨーロッパに広く影響力を持っていた年代学者であった。したがって彼をもって創始者とすることは間違いではない[3]。
天文学においては、紀元前を使用せず、その代わりに西暦に0(ゼロ)または負記号をつけて用いる(天文学的紀年法)。
その理由は、紀元前の年数を用いたのでは整数の演算規則に反することとなり、西暦1年をまたぐ年数計算(減法)が面倒になったり誤りが起きてしまうからである。
天文学における紀年法では、紀元前1年は「西暦0年」、紀元前2年は「西暦 -1年」、紀元前3年は「西暦 -2年」…と表現されるので、「キリスト紀元による紀元前」に比べて絶対値が1だけ少なくなることに注意を要する。例えばカエサル(ジュリアス・シーザー)が暗殺された紀元前44年は、西暦-43年である。
通常の紀年法の二元的なイメージ:
天文学的紀年法が準拠する数直線:
例:紀元2年( = 西暦 2年)から紀元前4年( = 西暦 -3年)までの年数の算出法
非キリスト教徒に配慮し、例えば、英語ではAnno Dominiを(Common Era - C.E. )とし、紀元前をBefore Common Era - B.C.E.と言い換える動きがある。
日本語では、「紀元」や「西暦」などそもそもキリスト教的な要素がない語を使うため、あまり問題にならない。
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