濱野彰親
日本の画家 (1926-2020)
濱野 彰親(はまの あきちか、1926年〈大正15年〉5月8日 - 2020年〈令和2年〉8月3日)は、日本の挿絵画家。本名政雄(まさお)。1968年(昭和43年)、彰親(あきちか)に改名。日本出版美術家連盟 元会長、現名誉会員。
その作風は、「鋭い感受性と深い観察眼から生れたモノクロームの世界は、そこに生きる人間の本性を暴き出し、小説の世界観を鮮やかに印象付けている」とされる[1]。
略歴
編集- 1926年(大正15年) 5月8日東京都足立区千住に、父・亀太郎と母・なみの長男・政雄(まさお)として生まれる。祖父・三蔵は千住で大きく紙問屋を営み、父は職人数人を使い掛け軸を製作していた。
- 1931年(昭和6年) 父死去。
- 1942年(昭和17年) 青山学院高等科を卒業。鉄道省へ入省。
- 1943年(昭和18年) 日本美術学校油絵科(夜学部)に入学。
- 1945年(昭和20年) 日本美術学校油絵科卒業。4月赤坂歩兵第三連隊に入隊、8月終戦。
- 1946年(昭和21年) 推理小説雑誌『トップ』にて挿絵画家デビュー。以後、新聞小説や大衆文芸雑誌の挿絵を手がける。
- 1950年(昭和25年) 日本出版美術家連盟(1948(昭和23年)創設)に最年少(24歳)で参加。
- 1954年(昭和29年) 若手挿絵画家たちと「挿美会」を結成し、翌年には『さしゑ』を創刊するなど挿絵の発展に尽力。
- 1961年(昭和36年) 濱野政雄画集『B5の絵』を刊行。
- 1964年(昭和39年) シェル美術賞展佳作賞受賞。
- 1968年(昭和43年)「彰親(あきちか)」に改名。松本清張、山崎豊子、火野葦平、川上宗薫、菊村到、近藤啓太郎、黒岩重吾、三好徹、森村誠一、深田祐介、山村美紗、ねじめ正一、逢坂剛、津本陽、和久峻三、田辺聖子など、数多くの著名小説家の作品の挿絵を手がけるようになり、週刊誌や新聞などに多数連載。
- 1974年(昭和49年) 第二回『噂』さし絵賞、日本作家クラブ絵画賞受賞。
- 1975年(昭和50年) 第六回講談社出版文化賞(さしえ賞)受賞。
- 2001年(平成13年)〜2006(平成18年)、2008(平成20年)〜2017(平成29年)3月まで日本出版美術家連盟会長に就任。
- 2012年(平成24年) 画集『濱野彰親挿絵原画集 モノクロームへの眼差し』刊行。
- 2013年(平成25年) 弥生美術館にて濱野彰親展「モノクロームへの眼差し -人間の本性を暴く-」開催。
- 2017年(平成29年) 日本出版美術家連盟の一般社団法人に伴い、名誉会員となる。
- 2020年(令和2年)8月3日午後1時55分 誤嚥性肺炎により東京都の自宅で死去[2]。94歳没。
主な挿絵
編集- 松本清張「利」「清張短篇新集」「天才画の女」「黒革の手帖」「十万分の一の偶然」「迷走地図」「昇る足音」「幻華」「紙碑」「数の風景」
- 山崎豊子「二つの祖国」「大地の子」
- 火野葦平「街の灯」「魔女宣言」「花の座」
- 池波正太郎「青空の街」
- 川上宗薫「色道まつり」「おんなの教室」「好色涙あり」「好色流転」「熟れる」「昼と夜と」「開く花」「女体読本」「色めぐり」ほか多数
- 菊村到「狼は迷路を走る」「夜明けに花を撃て」「夜はさすらいの時」
- 梶山季之「やめてよ、あなた」
- 近藤啓太郎「微笑」
- 黒岩重吾「老城の恋」「太陽を這う」
- 三好徹「帰らざる夜」「賭ける」「暁に帰る」
- 森村誠一「青春の源流」「棟居刑事ラブアフェア」
- 深田祐介「神鷲(ガルーダ)商人」「暗闇商人」「赤道奔流」
- 山村美紗「京都西大路通り殺人事件」
- ねじめ正一「荒地の恋」
- 逢坂剛「禿鷹の夜」など「禿鷹」シリーズ
- 津本陽「孤塁の名人」「幕末の七人の侍」「紀伊徳川家を支えた家臣」「信長影絵」
- 和久峻三「妖精の指輪」「共犯者の自白」「一億分の一の侵入者」「教唆する弁護人」「死刑台の女」
- 田辺聖子「愛してよろしいですか?」「風をください」
- 夏樹静子「死の谷から来た女」
出典
編集- ^ 松本品子編『濱野彰親挿絵原画集 モノクロームへの眼差し』ラピュータ、2012年12月
- ^ “挿絵画家の濱野彰親さん死去”. 時事ドットコムニュース (2020年8月14日). 2020年8月14日閲覧。
参考文献
編集松本品子編(弥生美術館)『濱野彰親挿絵原画集 モノクロームへの眼差し』ラピュータ 2012年12月 ISBN 9784905055112