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京都府の市 ウィキペディアから
うじし 宇治市 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 近畿地方 | ||||
都道府県 | 京都府 | ||||
市町村コード | 26204-8 | ||||
法人番号 | 2000020262048 | ||||
面積 |
67.54km2 | ||||
総人口 |
174,247人 [編集] (推計人口、2024年11月1日) | ||||
人口密度 | 2,580人/km2 | ||||
隣接自治体 |
京都市、城陽市、綴喜郡宇治田原町、久世郡久御山町 滋賀県大津市 | ||||
市の木 | もみじ(イロハモミジ)[3][2] | ||||
市の花 | やまぶき[3][2] | ||||
他のシンボル |
市の鳥 : カワセミ[4][2] 市の宝木 : ちゃの木[3][2] | ||||
宇治市役所 | |||||
市長 | 松村淳子 | ||||
所在地 |
〒611-8501 京都府宇治市宇治琵琶33番地 北緯34度53分04秒 東経135度47分59秒 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
特記事項 | 市章は「宇治」の「宇」の字を図案化したもの[1] | ||||
ウィキプロジェクト |
京都盆地の東南部にあり[5]、旧山城国宇治郡の南側と、久世郡の北東側を市域とする。
北側は京都市と、東側は醍醐笠取山地により大津市と接する[5]。市域の東半分は標高200-400メートルの丘陵地であり、そこには標高602メートルの千頭岳がある。
当市の古来の集落や近・現代の住宅街は宇治川沿いに発展した歴史がある。琵琶湖から流れ出る唯一の川である瀬田川は南に向かったあと南西に向きを変え、琵琶湖から約16キロメートルの場所、滋賀県と京都府の境界でその名を宇治川と変え[6]、向きも変え北西方向に流れるが、その谷口にあたる場所に、古来の中心集落である宇治地区がある。その北方に位置する宇治川右岸地区には、奈良街道沿いに生じた諸集落を核とした住宅地が広がる。宇治川左岸には、かつて存在した巨椋池の湖岸線に沿う形で集落および農耕地、住宅地、商工業地が広がる。滋賀と京都府の境界から宇治市の中心に架かる宇治橋まではおよそ9キロメートルである[6]。
高品質の茶を生産する茶業、特産品の宇治茶、およびユネスコ世界遺産ともなっている平等院、宇治上神社等の文化財で知られる。
現在の人口は約18万人で、京都府内で京都市に次ぐ第二都市であり、京都市への通勤率は29.1%である(平成22年国勢調査)。
宇治市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 宇治市の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 宇治市
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
宇治市(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
宇治市は1960年代前半から京阪神の住宅都市として脚光を浴び、市内各地で宅地造成が相次いで行われた。これに伴い著しい人口増加が始まり、1979年8月には15万人を、1998年9月には19万人を超えた。市が策定し2011年から実施している「第5次総合計画」では、「第1次総合計画」から盛り込まれている『みどりゆたかな住みたい、住んでよかった都市』という都市像を引き続き基本理念としつつ、国全体で減少傾向と予測される人口動向に対応し、市街化地域を拡大しないほか大幅な人口増加を前提としない(計画終了年度の2021年における設定人口は18万人あまり)など、情勢に即した計画が策定されている[7]。平成22年国勢調査より前回調査からの人口増減を見ると0.01%増の189,609人であり、増減率は府下26市町村中5位、36行政区域中9位である。
平均年齢は42.1歳(2005年国勢調査[8])
宇治市は第二次世界大戦後の発足で、完全普通選挙時代の到来以降に成立した市である。従って、宇治市長選挙は第1回から公選であった。官選時代は存在しない。
首長の代数(歴代)の数え方は何種類もあるが、本節では a, b を添える形で書き分けながら解説する。表示欄では「代(a)」「代(b)」という名で2種類を記載した。a は就任のあるたびにカウントする方式に基づく代数(就任代)であり、b は同一人物による連続就任をカウントしない方式に基づく代数である。宇治市は a の方式を採っているが(他の例:八王子市、弘前市、浜松市)、b の方式を採る自治体も多く(例:京都市長、大垣市)、a と b の違いを認識しないまま単純に比較すると誤解が生まれる。なお、返り咲きがあろうとも同一人物を1カウントとする方式もあるが、現状、宇治市は該当しない。
代a | 代b | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
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公選市長 | |||||
1 | 1 | 山崎 平次[注 2] | 1951年(昭和26年)4月16日 | 1954年(昭和29年)10月18日 | 1期4年を満了せず。 |
2 | 2 | 1954年(昭和29年)11月5日 | 1958年(昭和33年)11月4日 | 1期4年満了。 | |
3 | 3 | 新庄 義信 | 1958年(昭和33年)11月5日 | 1962年(昭和37年)11月4日 | 1期目4年満了。 |
4 | 1962年(昭和37年)11月5日 | 1966年(昭和41年)11月4日 | 2期目4年満了。 | ||
5 | 1966年(昭和41年)11月5日 | 1970年(昭和45年)11月4日 | 3期目4年満了。 | ||
6 | 4 | 1970年(昭和45年)11月5日 | 1974年(昭和49年)3月8日 | 1期4年を満了せず(病気辞任のため)。 | |
7 | 5 | 渡辺 博 | 1974年(昭和49年)4月8日 | 1976年(昭和51年)11月7日 | 1期4年を満了せず(急逝のため)。 |
8 | 6 | 1976年(昭和51年)12月19日 | 1980年(昭和55年)12月18日 | 1期4年満了。 | |
9 | 7 | 1980年(昭和55年)12月19日 | 1984年(昭和59年)12月18日 | 1期目4年満了。 | |
10 | 1984年(昭和59年)12月19日 | 1988年(昭和63年)12月18日 | 2期目4年満了。 | ||
11 | 1988年(昭和63年)12月19日 | 1992年(平成4年)12月18日 | 3期目4年満了。 | ||
12 | 1992年(平成4年)12月19日 | 1996年(平成8年)12月18日 | 4期目4年満了。 | ||
13 | 8 | 久保田 勇 | 1996年(平成8年)12月19日 | 2000年(平成12年)12月18日 | 1期目4年満了。 |
14 | 2000年(平成12年)12月19日 | 2004年(平成16年)12月18日 | 2期目4年満了。 | ||
15 | 2004年(平成16年)12月19日 | 2008年(平成20年)12月18日 | 3期目4年満了。 | ||
16 | 2008年(平成20年)12月19日 | 2012年(平成24年)12月18日 | 4期目4年満了。 | ||
17 | 9 | 2012年(平成24年)12月19日 | 2016年(平成28年)12月18日 | 1期目4年満了。 | |
18 | 2016年(平成28年)12月19日 | 2020年(令和2年)12月18日 | 2期目。 | ||
19 | 10 | 松村淳子 | 2020年(令和2年)12月19日 | 現職 |
現在の宇治市となるべく合併した地方自治体は、いずれも小規模な町村であったため早くから合併の機運があった。
のちに合併の中心となる久世郡宇治町は1922年(大正11年)、同郡大久保村との合併決議および府知事への上申書提出を可決した。一方、大久保村でも同様の決議が行われたが村内で反対集会が行われるなど意見がまとまらず、その機会を得なかった[16]。1930年(昭和5年)には、府知事の諮問をもとに久世郡が宇治町と槇島村の合併を計画したが、これも実現しなかった。一方、宇治郡に属していた山科町や醍醐村が1931年(昭和6年)に京都市へ編入される際、同郡宇治村(のちの東宇治町)も京都市への編入を打診されたが実現しなかった。なお、同郡笠取村は京都市への合併を希望していたが実現しなかったため、軍需輸送のために建設された道路で直結していた宇治村と1942年(昭和17年)に合併し、東宇治町となった[17]。
第二次世界大戦後、地方自治体の権限の拡大に伴い教育や警察などの財政負担がより大きくなったため、合併へ向けての機運の盛り上がりのほか、その研究が様々な立場から行われた。1949年(昭和24年)、府会議員全員を委員とする調査委員会により出された試案は、槇島村・小倉村・大久保村および東宇治町が宇治町を中心とする枠組みの中で合併するというものであり、この案をもって合併へ向けて動き出した[18]。なお、合併協議の中では綴喜郡宇治田原村・田原村(いずれも現在の宇治田原町)や久世郡淀町(現在の京都市)および同郡佐山村・御牧村(現在の久御山町)または久世郡寺田村・久津川村・富野荘村(いずれも現在の城陽市)を含める案も検討されている[19]。
一方、この合併協議の中では京都市への編入についても議論されている。特に、生活圏が同一となる地域もある東宇治町内の住民には京都市への編入という意見が依然として強く、府の世論調査では積極的および消極的な意見を含めると町民全体の88パーセントにも及んだが、町議会は宇治町を中心とする合併に向けての決議をいち早く行った。なお、同時期には町関係者と京都市や府関係者などとの協議も行われている[20]。
結局、財政面など自治体運営の合理化に寄与することや、特産品である「宇治茶」の振興を一体的に図れること[21]などが決め手となり、1951年(昭和26年)3月1日、各町村が合併し、宇治市となった。なお、京都市への編入に関する議論は市制施行後も常に議会での討議がなされるなど燻り続けたが、編入を掲げた市長に対し不信任案が提出され、その後の選挙で編入反対派の革新系候補が勝利することにより、議論は終息した[22]。
平成の大合併においては、宇治市と城陽市・宇治田原町・井手町の枠組みでの議論がなされた。2002年(平成14年)に設置された合併協議会では、上記の4市町および八幡市・京田辺市・久御山町という枠組みで協議が行われたが、後に上記4市町での枠組みとなった[23][24]。しかし交渉がまとまらなかったため、2007年(平成19年)11月、合併協議会は解散した[25]。
医療施設は特筆性の高いもののみを記載する。
宇治市が属する広域医療圏は、二次医療圏としては山城北医療圏(管轄区域:宇治市、城陽市、八幡市、京田辺市、久御山町、井手町、宇治田原町)[28][29]、三次医療圏としては京都府医療圏(管轄区域は京都府全域)である[29]。 山城北医療圏の小児救急医療体制として、宇治市域の対象者には、宇治徳洲会病院(宇治市槇島町石橋145)、田辺中央病院(京田辺市田辺中央6丁目1-6)、男山病院(八幡市男山泉19)が対応する[27]。
配本所は上記のほか京都文教大学図書館に、図書返却ポストは上記のほか市役所地下東通用口と京都文教大学図書館にも設置されている。
また、市内9ヶ所の集会所等において子ども文庫が開設されている(開設頻度は施設により月1度~毎週と異なっている)。
京都市 - 2015年(平成27年)12月22日に観光振興と安心安全に関する連携協定締結[30]
宇治茶の産地であることから、公立の小中学校ではそれにちなんだ地域教育が実施されている。その一環として、校内の蛇口から茶が出る「茶飲み場」が設けられており、食育に活用されている[41]。
利用者数では大久保駅が一番多い。
このほか、向島団地に近い地域では近鉄バスも利用可能で、向島駅や竹田駅へ向かうことができる。なお、自家用車の普及で削減された路線がある。過去には、東京新宿行の夜行、関西空港行、USJ行も運行されていた。
市の西部を国道24号が南北に通り、また同じく南北に通る道路として京都府道69号城陽宇治線 (国道24号の旧道)がある。また、東西には京滋バイパスが通過しており、市内には東から順に笠取IC・宇治東IC・宇治西IC・巨椋ICがある。
京滋バイパスは瀬田東JCTで名神高速道路に、大山崎JCTで名神高速道路および京都縦貫道と接続しているほか、久御山JCTを介して第二京阪道路などと接続している。
市内の宇治橋は646年に宇治川に架けられた交通の要衝となる橋で、宇治橋西詰交差点には京都府道3号・7号・15号・241号・248号の5府道が集結しており、サイエンスライターの佐藤健太郎によれば、都道府県道が集まる交差点としては全国最多の場所であると自身の著書の中で述べている[42]。
2013年(平成25年)の宇治市の観光入込客数は3,947,844人で、京都府内では京都市に次ぐ第2位であるが、観光消費額は5,267,500千円で府内第5位である[43]。
出身著名人
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